こんにちは!
守谷店の桑野です。
今回は私の好きな「金陀美具足」(きんだみぐそく)についてご紹介いたします。
金陀美具足とは徳川家康(当時は松平元康)が桶狭間の戦いの直前、敵方に囲まれた大高城に兵糧を運び入れた際に着用をしていた具足(甲冑)と伝わっています。
本物は静岡県の久能山東照宮に保管されておりますが、徳川家康ゆかりの各地でレプリカを見ることができます。
見た目は全身金ピカの派手な甲冑ですが、よくよく見ると過度な装飾などが省かれたシンプルな甲冑となっており、実戦を意識したつくりとなっています。
他にもいくつか家康が着用した甲冑は残されていますが、どれもシンプルでありながら目立つ実戦向きの具足を着用しており家康の嗜好の一端が読み取れます。
家康がこの具足を着用した当時の松平家(徳川家)は西の織田家、東の今川家という強国に挟まれた一国衆に過ぎませんでした。
西へ勢力拡大を図る今川家に付いた松平家は竹千代(後の松平元康、徳川家康)を人質として今川家に送ります。
人質とはいえ今川家に丁重に扱われた家康は今川軍団の一員として活躍をしていきます。
織田家と今川家が対立を深める中、尾張東部の織田方の鳴海城、沓掛城、大高城が相次いで今川方へと寝返ります。
これに対して織田軍は丹下砦、善照寺砦、中島砦、鷲津砦、丸根砦等を築き各城の奪還を図ろうとします。
この織田軍の動きに対して今川家は当主今川義元自ら軍を率いて城の救援に向かいます。
家康は織田軍に囲まれた大高城に兵糧を運び入れるという難しい役目を任されますが、囮を使った陽動作戦など巧みな用兵を見せ見事この大役を勤め上げました。
若き家康がこの作戦の際に着用をした具足がこの金陀美具足です。
この後、桶狭間山に本陣を構えた今川義元に対し織田信長は奇襲(強襲)を仕掛け義元の首を挙げます。
当主を失った今川軍は崩壊し退却をして行きますが、家康は今川軍と行動をともにせず元々の居城 岡崎城に帰還し今川家からの独立を果たします。
この後、織田信長と清州同盟を結び三河の戦国大名として成長し、のちには天下統一を成し遂げ江戸幕府を開くことになります。
見た目がカッコイイというだけではなく後の徳川家だけではなく日本史上の重要なターニングポイントとなったこの戦いの際に、若き松平家の当主家康が着用した甲冑というのがとても好きな点です。
この若き家康に自分を重ね合わせて、負けず劣らず精一杯頑張ろうと思います!

駿府城にある金陀美具足のレプリカです。
それではまた!
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