:マザーボックスでフラッシュから生じる電撃でスーパーマンを復活させる時,サイボーグがカウントダウンを始めるが,彼はこの時にBvSのブルースと同じヴィジョンを見る。カウントダウンが”1”になった時に見えたそのヴィジョンは,可能性の未来として荒廃した未来,悪に堕ちたスーパーマンによるリーグの終焉,そして一瞬ながらダークサイドの姿も目撃する。
<BvSでブルースが見たナイトメアシーン>
:バットマンである自分がレジスタンスのような組織のリーダーであり,荒廃した世界,あちこちから立ち上る火柱,そして地面には巨大なΩマーク・・
(このΩマークはダークサイドを示すマークです)
これはバットマンの異名であるダークナイト"Dark Knight"と悪夢"Nightmare"をかけてこの一連のシーンを"Knightmare(ナイトメア)"と呼ばれています。
JLのヴィランであるステッペンウルフのボスであり,惑星アポカリプスの支配者であり,いずれリーグと戦う事なる最強の敵ダークサイドが描かれます。3つのマザーボックスが三位一体を達成した時,そのあまりにも強大な力によって地球は一瞬にして滅亡に追い込まれる。これが削除されたサイボーグの見たヴィジョンと符合するのです。
ブルースが何故"Knightmare"を見たのかの原因は不明ですが「起こりうる可能性の未来」として「ダークサイドの侵攻を食い止める事が出来ず,スーパーマンが愛するロイス・レインを失い悪へと堕ちたスーパーマンに地球は支配された」という最悪の未来で,自分の最後の瞬間を見たと推測されています。
JLで削除されたサイボーグが見る"Knightmare"も未来の自分の最後の瞬間を見たとすると「ダークサイドの姿を一瞬だけでも目撃し最後は悪のスーパーマンによって殺される」というのが,マザーボックスを落とすカウントダウンが”1”を切った僅かな瞬間に起こった出来事であり,スーツに搭載された補助用AIもこれと同じものを見てしまい,AIは復活したスーパーマンを分析し将来の脅威になりうる存在としてサイボーグの意思を無視してまで排除しようとした...という事になります。
劇場版では復活したスーパーマンは何が起こっているか分かっていないだけで敵対している訳ではなかったですが,サイボーグの唐突な攻撃によりリーグ相手に戦う流れになりました。
これなら劇場版よりもかなり自然な流れになりますね。
未来のフラッシュがブルースの元に現れ「ロイス・レインがカギだ」と伝えるシーンも伏線回収される筈だったようです。
ブルースは,とある出来毎により身体の半分を失ったサイボーグと共に,過去のブルースに警告を伝える為に,フラッシュが時間を遡る研究を進めていた。ブームチェーブを通じてダークサイドがバットケイブに出現し,ロイス・レインを殺害するのを防ぐ為だ。未来のフラッシュが現れた時フラッシュは「僕は早すぎたのか」と叫んだが,観客はおろかブルース自身もその言葉の意味が理解出来なかった。フラッシュはバットケイブ内に設置されたコズミック・トレッドミルを光速で走り,時間を遡る事が出来るようになる。過去のどの瞬間に戻るかは地球に自転に基づいているので,地球そのものが正しい位置に存在していなくてならない。
過去に戻るには2つの”窓”があった。
ブルースはいずれかの”窓”にフラッシュを飛び込ませるべきかをサイボーグに尋ね彼が選ばなかった方にした。サイボーグが選択した先が「早すぎた」時間軸だと考えたからだ。
これまで『ドーン・オブ・ザ・デッド』『エンジェル・ウォーズ』『ウォッチメン』『バットマンvsスーパーマン』のこれら全てザック・スナイダー監督作品であり公開後に「エクステンデット・エディション」が発売されていますが,そのどれもが劇場版より高い評価を受けています。
JLを三部作として構想していたようですし
その他にもBvSとJLの相互補完も構想していたようです。
本当にこのバージョンが観たかった...
ジャスティス・リーグとダークサイドの闘いをスクリーンで観たかった...
ダークサイドはMCUでいう所のサノスと同等存在ですね。
寧ろDCダークサイドを真似たヴィランがMCUサノスなのですが...
『アベンジャーズ/エンドゲーム』のような熱い最終バトルをJLでも観る事が出来るのかなと思っていたのですが,それはもう叶わない...
叶わない願いというものは辛いですね
いつか叶う日が来るのかな?
実際にJLスナイダー・カットを求める署名運動で
17万人以上が集まっています。
そこまでさせる程の映画を撮るザック・スナイダーは,原作となるDCコミックスを深く理解した上で,ただの実写化に留まらない唯一無二の魅力を持った作品を創り出してきました。改めてMoSを観ると,BvSやJLに繋がる伏線があったり,彼が確固たるヴィジョンを持って製作に取り組んでいたかが分かります。スタジオが決めた計画に沿うだけでなく,非常に深い本質的な部分で繋がっている壮大な三部作ですね。
ワーナー・ブラザーズが非常に個性的な作風を誇る彼を迎え入れるという決断も,そして彼が批判にとらわれ過ぎず全力を尽くしてくれた事は非常に嬉しい事です。あれだけの「カッコつけ」を全力でやり切るクリエイターは他に居ないだろうし,実際に彼が大きな役割を担ったDCEUは追及し甲斐がある非常に濃い世界になりました。
彼が築き上げた世界は,伝統的な原作コミックのそれとは異なり,原作はあくまで原作としてその本質を汲み取りつつ,唯一無二のDCEUとして出発し出来あがりました。惜しくもJLで一旦完結を迎えたDCEUは,今後今までよりも原作を取り入れていく方針に向かっています。原作から異なるような複雑でリアルなデザインが,少しづつ原作コミック調のそれに近づくようにDCEUは日の光を浴びる時期に到達しました。これからはDCコミックが掲げていた楽観・希望というテーマをよりストレートに表現していくでしょう。
”神話”を目指して濃厚な画を撮るザック・スナイダーの起用は,DCEUの一風変わったスタートとなり,JLまででDCEUは基本的な所は押さえる形で完了しました。
そしてより多くの原作ファンが満足出来るようなDCEUが
ここから始まろうとしています。
とは言え,唐突に明るくし過ぎるとMCUと区別がつかなくなりDCEUはその意義やIdentityを見失い競争において自らの首を絞めてしまう事に成りかねません。
彼の築いた"ダークでシリアスな神話"を
どれだけ作品に盛り込む事が出来るか?
私が一番危惧するのはこの一点のみ。
DCコミックスとしてDCEUとしてのバランスを成立させるかはこれからの個々の監督にかかっています。
これだけ夢中になれるシリーズを創り上げ,提供してくれたザック・スナイダーに感謝します。
いつかまた彼がDCEUに戻ってくる日を信じて。
MCUの時も同じような事書いてたな...
まあ実際に好きなのはDCの方ですよ!?
映画『ダークナイト』が一番好きなんで!!
正直,明るい雰囲気よりシリアスの方が好きなんですよ。
長い長い文章にお付き合い頂きありがとうございました。
私の中のモヤモヤが何なのかを少しでも知って欲しかったという
願望のみで今回のブログを書きました。
それだけ好きだったという事です。
じゃあ今は好きじゃないのかと言われると...
次回からは少しだけ自重しますので。
それでは。