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何故必要だったのか?


2019/07/06(土)

監督をした『マン・オブ・スティール』『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』『ジャスティス・リーグ』は,そのどれもがDCEUにおいて重要な役割を担っており,この3作によって描かれたヒーロー達はDCEUにおける重要キャラクターである事から彼らを撮ったザック・スナイダーはDCEUの創造主とも言えます。
実際にDCEUの製作を行うに当たって最初の作品『マン・オブ・スティール』を成功させた功績は非常に大きいです。

続く『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』で
顕著に表れたのが,彼の作風に対する風当たりです。
この作品自体がDCEU2作目にして,世界観の拡大に向けて様々な要素を詰めた挑戦的な作品です。
興行収入的にはヒットを記録したのですが,問題は作品に対する評価で,特に批評家からの意見がよくありません。
「スーパーマンが出ているのに暗すぎる
(←んな事言ったら前作MoSも十分暗かったけど)
「詰め込み過ぎて作品として成り立っていない」
(←成り立っていないかどうかは別にして,確かに詰め込みまくってたね)
などのレビューがBvSの批判的なレビューの代表的なものです。詰め込み過ぎという意見は確かに御尤もな意見ではありますが,そもそもこの作品には原作となるコミックスがありません。これはザック・スナイダーがこれからのDCEUの世界観を拡げる為の原作の無い完全オリジナルとして製作した作品
だからこそ挑戦的な作品になっているのです。
※題材としての原作は無い事はないですけどね。

20170426221608.jpg
バットマンシンボルの”コウモリ”と
スーパーマンシンボルの””が合体して登場。
めっちゃかっこいい!!
対決と謳っておきながら「vs」ではなく「v.
先頭に「BATMAN」をもってくる。
マン・オブ・スティールを「SUPERMAN」。
「DAWN OF JUSTICE」とは後に「ジャスティス・リーグ」というヒーローチームを結成する布石。
これはバットマンとスーパーマンの邂逅の物語であり
対決する事は副次的なものである事が分かります
何故,邦題は「v.」ではなく「vs」にしたんや...
そこに意味があると何故分からんのや...
これはアカンよ
どうしていつもいつも邦題で失敗するんや

私はMosもBvSも大好きな作品であり,ザックスナイダーが敷いたレールに沿って形成されるDCEUの大ファンでした。基本的に好評なMCUに比べ意見が割れるDCEU。人によっては彼を戦犯と形容する事がありますが,そんな強いクセを持つザック・スナイダーこそDCEUに必要な人物であったのではないかと思います。

寧ろ必要だったんです!!
何故必要だったのかをこれからつらつら書いていきます。


「誰もが知るヒーロー」たるスーパーマン。
彼がエイリアンであるという設定は知らなくても全身青タイツに赤マント,胸にあるSのシンボル,空を自由自在に飛びまわるというその特徴はまさしく誰もが知るもの。彼はMos,BvSで主人公を務め,JLでは一種のマクガフィンとして登場します。MoS,BvS,JLというスーパーマン・トリロジーがDCEUの根幹を成していると考えると彼は中心人物と言えます。

彼の誕生とヒーローとしての駆け出しを描いたMoSは
過去作の雰囲気とは明らかに異なるものでした。
色褪せたような色調,陰影がくっきりとした映像,深いセリフ,壮大な音楽(ハンス・ジマー最高!),現実世界に即したリアルな展開,絵画のようにキマッた描写,全編にわたるシリアスな雰囲気など現代のスーパーマンとしてスクリーンに蘇りました。
これらは「トーンが暗い」「ダークな雰囲気」と言われています。そしてこの雰囲気は続編のBvSにそのまま受け継がれ,20年もの間ゴッサム・シティで活動を続けて疲れ切り,乾いた憎しみを抱えて希望を失っていたバットマンが参戦した事により,この"シリアスさ"はさらに加速していきます。
最終的にそれに業を煮やしたワーナー・ブラザーズによる「明るい」政策に基づく改革がJLに入り,本来の作品路線から大きく逸れていく事になる...

それら全ての特徴の数々はザック・スナイダーが意欲的にDCコミックス実写化作品に取り入れたものです。MCUついて言及したインタビューで「僕らは"神話"を作っているんだ」と語りました。この言葉は非常に印象的です。映画という世界の中で”神話”という要素を取り込もうとする彼の志に関する発言こそが,彼のDCEUに抱いているヴィジョン。カラフルさは無く基本的にシリアスな雰囲気,キマったカットのこれらの要素が絡み合う事で一連の物語は非常に密度が濃いドラマとなる。
私はこれらを総して”ダーク・シリアス”と呼びます。
ダークなんちゃらやとスターウォーズのシスみたいやな笑
”ダース・ベイダー”みたいな??

この”ダーク・シリアス”は少なくともDCEUの序盤では必要なものであり,ザック・スナイダーにしか出来ない事だと思いますし,その”シリアスさ”がDCEUというユニバース及びワーナー・ブラザーズには必要な要素だったと思います。
ダークユニバース(ユニバーサル)
【←これは頓挫しましたが】
モンスターバース(レジェンダリー)
【←これはゴジラバースなので是非とも成功して欲しい】
といったユニバースものが立ち上り激化していくハリウッドで,DCEUには決め手となる強い武器が必要でした。
それがこの”ダーク・シリアス”だと思うのです。

しかしこれでは”DC=ダーク・シリアス”という認識を生み出しかねないし,この雰囲気は万人受けするものではない事も事実。だからこそ批判的なレビューがあるのですから。
しかしこの"ダークさ"にも理由があります。
ダークと称される箇所は「色褪せた色調」以上に
登場人物達の葛藤する箇所にあると思います。

では何故現代のヒーロー達は葛藤するようになったのか?
それは葛藤する事により観客は感情移入しやすくなるからです。葛藤を描くという事は,登場人物の心理的な動きや迷いを描くという事になり,その思考のプロセスを丁寧に追って描く事は,観客がその登場人物の思考及び行動を追い理解する事で感情移入する事が可能となります。
それは"観客の心に残りやすくなる"という事。

スーパーマンを例に考えると分かりやすいです。

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